「オードリー・ヘップバーン」のプロフィールと出演映画を紹介!

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1950年代、世界で1番集客力がある女優と言われた「オードリー・ヘップバーン」。

当然名前や顔は知ってましたが、初めて作品を観たのはつい最近なんです。

初見は「ローマの休日」ですね。

やはり世界的な大女優!とても引きつけられる何かがあります。

今回はオードリー・ヘップバーンのプロフィールや出演している映画を公開された順に紹介しています。

各作品名から映画紹介のページにリンク貼っておくので良かったら見てみて下さい。


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オードリー・ヘップバーンのプロフィール!

生年月日:1929年5月4日

出身地:ベルギー ブリュッセル生まれ

身長:170cm

オーストリア出身の父親とオランダの貴族であった母親との間に生まれた。

幼い頃はベルギー、イギリス、オランダを頻繁に行き来していたため、オードリーは英語、オランダ語、フランス語、スペイン語、イタリア語を習得していた。

オードリーが幼い頃に浮気などが原因で父親は家庭を捨て出て行った。

その後、第二次世界大戦が勃発オードリー達が住むオランダにもドイツ軍が進行、この時「オードリー」というイギリス風の名前を危険だと感じた母親はオードリーに「エッダ・ファン・ヘームストラ」と偽名を名乗らせていた。

さらに戦争中、栄養失調などに苦しみ辛い体験をした過去もある。

終戦後、アムステルダムに移り住み、5歳から習っていたバレエを本格的に学び始める。

才能を認められるも、長身である事と戦争中の栄養失調がたたり演劇の方へ進む事を勧められ、オードリー自身も演劇への道を進む事に決めた。

その後は舞台女優として活躍し、努力家だった彼女の実力は認められて行く。

そして、1953年初の主演映画となった「ローマの休日」が絶賛され世界的な女優として認められた。

当初のローマの休日では主演男優であるグレゴリー・ペックの名前が大々的表示され、オードリーの名前はその下に小さく表示される予定だった。

しかし、グレゴリー・ペックは監督に「変えるべきだ。彼女は僕とは比べ物にならないくらいような大スターになる」と公開前に進言し、同じ大きさの表示に直したという逸話もある。

その後も数々のヒット作に出演し、やがて世界で最も好かれる女優と言われるようになる。

1967年に一度女優業から退くが、1976年に復帰。

1989年まで映画に出演しその後はユニセフ親善大使として活動の場を移して行く。

私生活では舞台で共演したメル・ファーラーと1954年に結婚、2人の子供を授かるが、1968年に離婚。

その後、1965年にイタリア人精神科医のアンドレア・マリオ・ドッティと結婚し、男の子を授かるが1982年に離婚。

その後はオランダ人俳優のバート・ウォルダースと恋愛関係にあったが結婚はしていない。

そして、1992年にガンが発覚、治療に専念したが、1993年1月に63歳で亡くなった。

オードリー・ヘップバーンの出演映画を紹介!

ローマの休日

1954年公開

マイ・フェア・レディ

1964年公開

暗くなるまで待って

1968年公開


以上、オードリー・ヘップバーンについてまとめてみました。

亡くなった後、今なお好きな女優の上位にいる彼女(何かの雑誌で見ました)はとても人を惹きつける魅力ある女性ですね。

まだ観てない映画もあるので、観てみようと思っています。

最後まで読んで頂いてありがとうございました。


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